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忘却のストッパー:タイメン鉄道 2004
泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道で、 深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。
Updated Date : 2017-08-16 17:59:47
Author ✎ takejisasaki
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タイメン鉄道 2004
泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている[1]。日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。存置部分は、タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。
泰緬鉄道 - Wikipedia
この鉄道の建設は20世紀初頭の英領ビルマ時代にイギリスが検討していたが、地形が複雑で建設を断念した。戦時中の1942年、旧日本軍は海上輸送の危険を避け、またビルマ戦線の物資輸送のためのルートを確保するために建設を開始した。建設計画はイギリスが検討した5つの案(チェンマイ - トングー、ピッサヌローク・ターク - モールメン、現在のルート、カンチャナブリー - タボイ、チュンポン - メルグイ)[2]の内の1つを踏襲している。背景としては当時のビルマとタイの間にマラッカ海峡経由の海上輸送路以外に補給に適したルートが少なく、その海上輸送路もミッドウェー海戦などで日本側が劣勢になったため、海上輸送路とは別に陸上輸送路が求められた。 建設は迅速さを要求されたためビルマ側・タイ側両方から開始した。ビルマ・タイにはすでに多少の鉄道が建設されており、タイ側は1942年7月5日に南本線のノーンプラードゥック駅から、ビルマ側からは1942年6月28日にタンビュザヤより建設を開始した。建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)のほか、募集や強制連行[3]による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者 ➖ タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。建設現場の環境は劣悪でいわゆるタコ部屋労働であり、特に工事の後半の1943年には翌年のインパール作戦に向けての準備に加え敵潜水艦によって海上輸送が困難になったため雨季にもかかわらずさらなる迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数に上り、戦後に問題となった。犠牲者数は日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが、総数の約半分と言われる。特に、巨大な一枚岩を掘り下げるなどしたヘルファイアー・パス(英語版)と呼ばれる箇所や、断崖絶壁に沿わせるように木橋を建設したアルヒル桟道橋など未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。また現場の作業を監督した鉄道隊には国際法を理解したものが少なかったためしばしば私的制裁が横行した。こうした労働者の多大な犠牲のもと、当初5年は掛かると言われた建設が1943年10月に完成した。 戦時中、完成後は連合軍の爆撃機により空爆が行われ、橋は破壊されては復旧されることを繰り返していた。それにも関わらず、連合軍は鉄道の輸送を完全に止めさせることができなかった。これは「枕木一本、死者一人。」と言われる一因となる。捕虜収容所は橋から近かったため、連合軍の爆撃で外れた爆弾が多々落ちてきて、多数の死者が出た。 当初の予定では一日の輸送量3,000tの予定であったが工期短縮のため1,000tになったが雨期の豪雨や空襲によりそれさえ達成できなくなった。突貫工事による欠陥により脱線事故が多発し沿線のあちこちに機関車や貨車の残骸が放置されていたという。 その後必要性の低さ(英国はこの鉄道をシンガポール港の重要性を下げる要因になると考えた)、維持費の高さなどから、ミャンマー側の全線とタイ側の国境から3分の2にあたる区間が廃止となった。また、タイ側の一部はダムに沈んでいる。戦後、泰緬鉄道建設を担った鉄道連隊に所属する兵士や連合軍捕虜を取り扱った俘虜収容所の関係者らが、BC級戦犯として「捕虜虐待」などの戦争犯罪に問われ、処刑された(泰緬鉄道建設捕虜虐待事件を参照)。「ロウムシャ」の徴集には銃剣をつきつけ脅かして強制連行した例が見られるという[4]。また捕虜の動員については保養地に行くと聞かされたので騙されたと感じたという捕虜の証言がある[5] 現在建設の中心部となったカーンチャナブリー市内には連合国捕虜の共同墓地や戦争記念館が建設されている。 現在、ミャンマー政府は泰緬鉄道の廃線部分に新たな鉄道と幹線道路を建設する計画を進めている[6]。

タイメン鉄道
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13.539367559775119,99.75259780883789,0,0,0
戦場にかける橋 - Wikipedia
『戦場にかける橋』(せんじょうにかけるはし、The Bridge on The River Kwai)は、1957年公開の英・米合作映画。第30回アカデミー賞作品賞受賞作品。題名の「戦場にかける橋」とは、タイ王国のクウェー川に架かるクウェー川鉄橋を指す(位置情報)。 製作会社はコロムビア映画で、監督はデヴィッド・リーン。フランスの小説家ピエール・ブールの『戦場にかける橋』(Le Pont de la rivière Kwaï(fr) / The Bridge over the Riv...
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